マーベルのマルチバース:無数の世界をどう制御するの?

「スパイダーマン」と言ったらどんなイメージを浮かべるでしょうか?

眠そうな目のトビー・マグワイア?
イケメン過ぎてオタクに見えないガーフィールド?
スターク社長のサインを欲しがるトム・ホランド?
ロボットを操る地獄からの使者?
無口に天井からぶら下がってる?
テンション高くテレビの前のみんなに話しかけてくる?
衣装は赤と青? それとも黒や白?
恋人は赤毛のギャル? 金髪のお嬢さん?
マスクの下は男? 女?
ブルネット? ヒスパニック? 中国系?
お兄さん? おじさん? ぼっちゃん?
普段は売れないカメラマン? 科学者? 高校生? 殺し屋?

おそらくどれも正解です。
どれかが正しいスパイダーマンで、どれかはパチモンというわけではありません。

なぜなら世界は一つだけ存在するものではないから
ある世界では高校生のスパイダーマンがいて、別の世界では若社長のスパイダーマンがいる。

このようないわばパラレルワールドの構造が、マーベルコミックの世界では基本となっています。
ケーブルの記事でもちょっと触れましたが、今回はこの辺の仕組みを整理しておこうかと思います。

マルチバース:多元宇宙

基本構造

用語としては「マルチバース1が最も正統なものでしょう。
映画やらでは多元宇宙と訳されることもあります。

バースはユニバースのバース2
ユニは一つ、マルチはたくさん。
よってマルチバースは、たくさん存在する宇宙という意味合いで使われる言葉です。

概念としては、日本のアニメでよく言う「異世界」というものに近いです。
英語では世界(world)というより、アース(Earth)宇宙(universe)次元(dimension)という言葉をよく使います。

各アースは無数に折り重なって存在しており、基本的には独立して歴史を作っていきます。

私たちのよく知っているヒーローのスパイダーマンというのは、ある一つのアースにおけるスパイダーマン。
でも別のアースを覗いてみれば、まったく別人としてのスパイダーマンも存在しうるのです。
つまり冒頭であげた様々なスパイダーマン像は、それぞれ別のアースに属する別のスパイダーマンのことであると考えられます。

例えばこんな構造。

ABCはそれぞれ別の次元(アース)で、それぞれ別のスパイダーマンが人生を送っています。

Cはアベンジャーズの映画の次元と同じなので、Cのスパイダーマンはロバートダウニーのアイアンマンと出会えるわけです。
CのアースはMCU(Marvel Cinematic Universe)と呼ばれていて、ここ最近のブラックパンサーとかアントマンとかの映画もこのアースの話になります。

一方、この秋公開のヴェノムの映画はCのアースに属する話ではありません。
なのでアベンジャーズの続編にこのヴェノムが登場することはありえないということです3

 

次元同士の関係

上述のとおり、各次元は基本的には独立していますが、ときどきお互いに関わりを持つこともあります。
一つは時間軸による分岐、もう一つは次元を結ぶ通り道です。

時間軸による分岐

時間軸による分岐は、ケーブルの記事で述べたような理屈です。

たとえばスパイダーマンのおじさんが不幸な事件で亡くなってしまう世界があれば、一方、奇跡的におじさんが生き延びた世界もありえます。

一つの次元が、あるきっかけによって枝分かれするイメージです4

次元を結ぶ通り道

次元を結ぶ通り道は、それこそ「異世界転移」のようなことです。

なんらかの科学的だか魔術的な手段によって、別の次元に行く。あるいは別の次元の人間を連れてくる。
コミックではものすごく頻繁にこの手法を用いて別次元と干渉しあっています。

 

基準となる次元

そうはいっても、私たちが思い浮かべるスパイダーマン像というのはほとんど一致していると思います。
アイアンマンもキャプテンアメリカも、どういう見た目でどういう性格なのかはなんとなく共通的なイメージがありますよね。
コミックや映画やアニメを作るときにはこの共通的なイメージに則ることが多いです。

このキャラクターの基礎、すなわち正史=基準となる次元が決められています。

マルチバースでは各次元を特定しやすいように番号が振られていますが、上記のように「正史」とされる次元は「アース-616」と呼ばれます
我々は616のスパイダーマンを見て、赤と青の衣装のイメージを思い浮かべるわけです。

ちなみにMCUは「アース-199999」、トビー・マグワイア版映画は「アース-96283」です。
全部覚える必要はまったくありませんが、「基準の次元は616」とだけ覚えておくとコミックを読むときスムーズだったりします。

 

手法としてのマルチバース

だからなんなの?
つまりスパイダーマンにも色んな設定があるってことでしょ?
次元とかそういうわけわからん話いる?

……と思われるのももっともです。

ここまで書いてきたマルチバースというのは、要は「スパイダーマンにも色んな設定があるということを、読者にもキャラクター自身にも受け入れてもらう」ための方便のようなものです。

複数設定があることを「作品内で処理」する手法

キャラクター自身にも」ということが大事なポイントです。
もしマルチバースという考え方がなければ、スパイダーマンは一人しか存在してはいけないことになる。
クリエイター的にはスパイダーマンに色んな設定を持たせるでしょうが、スパイダーマン自身はそんなこと知りません。昔のコミックと設定違うじゃんと指摘されたときには、「僕にも色々事情があるんだ」とごまかすか、「知らないよ。ブライアン・ベンディスに聞けば」とメタ発言をするしかなくなってしまいます。

が、マルチバースという考え方があれば、自分とは異なる別のスパイダーマンがいるという事実を「作品の中で」処理できます

つまり「これはクリエイターがテコ入れのために新しい設定で作ったスパイダーマンだな」と第四の壁を超えた態度5を取らなくても、「どうやら僕は別の次元のスパイダーマンと出会ったみたいだ」と、コミック世界の中に居続けたまま状況を処理できるのです。

これを活用したのが、日本でも好評販売中の「スパイダーバース」シリーズ。

スパイダーバース

  • 作者:ダン・スロット (著), オリビア・コワペル (イラスト), ジュゼッペ・カムンコリ (イラスト), 秋友克也 (翻訳)
  • 出版社:ヴィレッジブックス
  • 発売日:2019/2/16
  • メディア:単行本

※画像はAmazonへのリンク

これはあらゆるコミック・アニメ・映画作品のスパイダーマンが一同に会するという常識破りなストーリーですが、だからといって登場人物たちはメタ発言をほとんどしません。
彼らが「別の次元のスパイダーマン」達と出会い共闘するのは、あくまでフィクション作品のストーリーの範囲内の話なんです。

世界観の整合性を確保する手法

マルチバースはクリエイターや読者にとっても便利な概念です。

普通、キャラクターの設定には整合性が取れていないといけません
コミックや映画の連作では、前回と次回で設定が変わっていたらおかしいわけです。

ですが、映画のリブートのように前の設定とはまったく違う設定を使いたいこともあります。
このとき、「マグワイア版の映画はアース-96283、ガーフィールド版の映画はアース-120703である」ということにすれば、二つの映画は別設定であるということが明確に分かります。
また「アース-96283に属する映画の新作を作ります」と言えば、これがマグワイア版映画の世界と関わってくることがすぐに分かるわけです。

ファンにとっても、どの話がどのアースに属するかということが分かれば、そのアースの設定内で整合性を取った考察ができます6
マルチバースという構造がはっきりしていないと、どれが一時的な設定で、どれが恒常的な「正しい」設定なのかがよく分からないのです。

このように、「世界が複数平行して存在する」という構造によって、一つ一つの世界内では世界観やキャラクターを一つに確立することができます

 

マルチバース:未来への展望

マルチバースという考え方は何気なく使っているものですが、上記のように様々な手法としての利点をはらんだものなのです。

また、これは世界が無限に広がるという意味も持っています。

近年、正史であるアース-616以外の出身でありながら、616で活躍しているキャラクターも大勢います。
黒いスパイダーマンのマイルス・モラレスはアース-1610の出身ですが、色々あって正史のアース-616に引っ越してきました。

マイルスといえば、スパイダーバースの映画化でちょうど注目されてるところですね!

昔から長く親しまれてきたキャラクターには、新鮮さが欠けていく側面もあります。
そこに新しい風を吹かせるのが、別次元というものの存在。
我々の知らない世界が無数に広がっている可能性は、それだけ楽しみが広がる可能性でもあるのです。

私の一押し、太ももが健康的なヤングアベンジャーズのアメリカ・チャベスも別次元の出身です。

今回の記事はここまで。


  1. SFのみならず、物理学的にも多元宇宙論というものは各説展開されています。ここで話題にしているのはあくまでマーベルコミック的なマルチバースのことだと思ってください。
  2. 語源的には「向きを変える」という意味だそうです。
  3. サムライミ版映画のスピンオフらしいのでAのアースに属するのかもしれませんが、少なくとも予告編を見る限りスパイダーマン3のエディとは別人かな…?
  4. 厳密に考えると頭の痛いことになります。次元分岐のきっかけとなる出来事とそうでない出来事はどう違うのか?分岐したとしてもそれを観測する人がいなければ存在しないも同然ではないのか?一人一人の一挙手一投足で次元が増えていったら観測できるようなレベルを遥かに越えるのでは?この辺はSFの議論に任せます。後述しますが、ここで肝心なのはマルチバースが「理屈付けの手段」であるということなので。
  5. 「第四の壁を超える」=自分がコミックや映画の登場人物だということを知った上で、読者や作者に語りかける行動。デッドプールや、アニメのアルティメットスパイダーマンは日常的にやってます。
  6. マーベルに限らず、海外のファンフィクション(二次創作)を作る人は「どのアースか」ということを強く意識している気がします。特に自分のオリジナル設定を作る場合は「AU(Alternative Universe)」と呼んで、このAU内での出来事の整合性を重視します。

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