ホラー系映画の簡単な紹介と感想です。
ホラー系かどうかというのは、「見る人に恐怖感を与えることが意図されているか」どうかが判断基準です。
お化けまたは血が出るのがホラーとは限らないわけです。
今回の映画は血はたくさん出ますが、本当の恐怖ポイントは無邪気な狂気。
ハッピーボイス・キラー(2014年、アメリカ)
- 公開年 2014年
- 製作国 アメリカ
- 監督 マルジャン・サトラピ
- 脚本 マイケル・R・ペリー
- 出演 ジェリー:ライアン・レイノルズ
フィオナ:ジェマ・アータートン
リサ :アナ・ケンドリック
ウォーレン博士:ジャッキー・ウィーヴァー
独断による評価
恐怖度 ★★★☆☆
嫌悪度 ★☆☆☆☆
耽美度 ★★☆☆☆
愉快度 ★★★★☆
幸せを祈る度 ★★★★★
また観たい度 ★★★★★
ネタバレあらすじ
バスタブ工場の製造部に勤めるジェリーは、イケメンだが変わり者。
ペットの犬・ボスコと猫・Mr.ウィスカーズと一緒に暮らしており、ジェリーには二匹が人間のようにしゃべる声が聞こえる。
励ましてくれる犬と皮肉屋の猫のことを家族として愛していたが、世間的には明らかに精神異常。精神科医のウォーレン博士の元にセラピーを受けに行くことが習慣だった。
あるときジェリーは経理部の英国美女・フィオナとデートの約束をするが、すっぽかされてしまう。
独り帰ろうとした道中で偶然フィオナと会って車で送ることになったはいいが、鹿を盛大に轢いてしまったことをきっかけに、ジェリーはついフィオナを殺してしまう。
人形のように美しいフィオナの死体を家に持ち帰り、体の方は細切れにして、頭だけは冷蔵庫に大切に保管した。
するとフィオナの頭は愛らしくジェリーの名前を呼び、お茶目にしゃべり出した。愛するフィオナと一緒に暮らすことができてジェリーは幸せだった。
だがフィオナの頭と皮肉屋の猫が、同じように誰かを殺せとそそのかす。
拒絶していたジェリーだったが、新たに恋人になった経理部のリサに偶然自宅の中を見られてしまい、仕方ないと殺してしまう。心配して家を訪ねてきたリサの友人のアリソンのことも、やっぱり殺してしまう。
これはまずいと思ったジェリーは、ウォーレン博士を拉致して静かな場所でセラピーを受ける。
心が軽くなったと博士を自宅に連れ帰ったはいいが、留守にしている間に会社の同僚が家の中の死体を目撃し警察に通報していた。
咄嗟に地下から逃げるジェリーだったが、ガス爆発が起きて家が燃えだしてしまう。
ジェリーは岐路に立たされた。逃げて悪人の道を進むのか、それとも逃げずに真人間としてここで死ぬのか。
ジェリーは幸せになる道を選んだ。
感想
原題はシンプルに”THE VOICES”。
ジェリーに聞こえる動物たちや死体の声――つまりジェリー自身の心の声と、どう付き合っていくのかというお話です。
邦題の「ハッピー」と「キラー」は大切なエッセンスですね(「殺すとハッピーになる主人公」という意味では決してありません)。
あと、デッドプール2のブルーレイを注文したばかりだったので思考がそっちにひきずられちゃったんだとは思いますが、
幻覚幻聴と会話するジェリーの様はとってもデッドプール*1。
実写映画には含まれていないデッドプールのサイコ描写がこの映画で補完されるような気がします。私はクレイジーなデッドプールが好き。
恐怖度:幻想と現実
物理的な恐怖:血に染まるジェリー
ジェリーの目というフィルターを通して見ていれば、この映画はちっとも怖いものではありません。純粋な青年が正しい道を選ぼうと悩む成長物語と言えるでしょう。
が、ジェリーの目に映るポップでキュートな世界は現実ではない。
温かな明かりの灯った我が家で家族とくつろぐジェリーの姿は、端から見れば薄汚い血のこびりついた物置で血まみれの死体の頭と会話するおぞましいもの。
これはまぎれもなくサイコキラーの物語です。
ジェリーの視点で物語を追っている我々にとって、ジェリーはあたかも「純粋で善良な青年」に見えますが、それは「ジェリー」という主人格の視点に立ったときの話。
現実に存在するジェリー・ヒックファンという男は、善良な笑顔の裏に残酷で暴力的な本性を隠した殺人鬼に違いありません。
というわけでスプラッターな描写はてんこもり。
ジェリーが手慣れた手つきでフィオナの肉をこまぎれにして保存パックに小分けにして積み上げる様は、普通におっかないよ。
心理的恐怖:「はずみで」殺しちゃうジェリー
恐怖ポイントは血が出るとかの外見的な描写だけではありません。
心理的な恐怖は、善良に見える「ジェリー」の根底に流れる、人を殺すことに対する何気ない感覚です。
まずジェリーはなぜフィオナを殺したのか。
デートをすっぽかされたのが憎らしかったから?
轢いてしまった鹿にとどめを刺したくらいで嫌悪され恨めしかったから?
好きなのに逃げるフィオナを力尽くで手に入れたかったから?
逃げるフィオナを刺し殺すとき、ジェリーは何の感情も覗かせません。
怒ってもいないし恨んでもいない。ただ狼狽するフィオナを落ち着かせようと追いかけて、追いついたからナイフを突き出した。それだけでした。
特別な動機があったからではなく、「何とかしなければ」という思考が自然と「殺す」という選択肢に結びついてしまう。
幼少期、苦しむ母親を「何とかしてあげたい」と殺した経験が、ジェリーにそんな狂気を抱かせるようになってしまいました。
穏やかに「大丈夫だよ」「何もしないよ」と言っていたジェリーが次の瞬間に何気なく相手を殺す、予想できないその瞬間はまぎれもなく恐怖を呼びます。
嫌悪度:ポップでキュートというコンセプト
血や死体の描写に敏感な方には厳しいのかもしれませんが、
この映画はどこまでもポップで、「うわぁ…」という感覚を与えようとはしません*2。
フィオナのちょっと嫌な女な言動やジェリーの空気読めない行動に「あーあ」と思うことはありますが、後述のハッピーなエンディングの通り、嫌な後味が残ることはないでしょう。オープニングもポップです。
耽美度:ジェリーはピュアボーイ
「美」というよりはやはり「キュート」「ポップ」「ハッピー」という言葉の方が似合います。
ジェリーは好きな女の子を殺しますし、正体が露呈する前のジェリーとリサのロマンスも描かれるのですが、エロティックな雰囲気はほぼ皆無と言っていいでしょう。
死体フィオナのしゃべる頭部もお茶目にジェリーをからかってばかり。
と言うのもジェリーがどこか子供らしく無邪気なせいだと思われます。
愉快度:踊るジーザス
公式サイトでも「ホラーサスペンスコメディ」と言われている通り、基本的におもしろい演出がされています。
ジェリーをからかって唆す猫のMr.ウィスカーズ、猫をたしなめてジェリーを励ます犬のボスコ。
この二匹がジェリーとしゃべってたらもう面白い。
そこにちょっと意地悪でお茶目なフィオナの頭部が加わったらもうたいへんです。
ジェリーの日常の行動もちょっとズレている。
食べ残しのピザを喜んでもらったり、大声で歌いながら作業したり。本人に悪気がなく、周りからの変な目にもちっとも気付かないのはコント的といえばコント的です。
何よりラストシーン、ジェリーの死で余韻を持たせて終わるのかな……と思いきや真っ白な世界に。
そこで青いスーツでビシッと決めたジェリーが、ドレス姿の母親や女友達のみんなに「殺してゴメンネ」の笑顔の一言。
そしてアンニュイな顔のイエス様が運転するリフトに乗ってフェードアウトしてくジェリー。
な、なにが起こった?
幸せを祈る度
「幸せってどういうことなんだろう」と考えずにはいられません。
フィオナを殺して頭部を冷蔵庫にしまったあと、ジェリーはウォーレン博士の言いつけを聞いて処方されていた薬を飲んでみます。
が、薬の効果で現実に戻ったジェリーが見たものは、汚れた部屋と悪臭を放つ死体。おまけに犬も猫も何もしゃべってくれません。
孤独に耐えきれなくなったジェリーは薬を吐き、残りも全て廃棄しました。
そうした後で戻ってきた、犬と猫とフィオナの頭がしゃべりかけてくれる場所は、まぎれもなく「幸福な我が家」なのです。
何が「正しいか」で言えばきっと、ジェリーが頭の中の声と会話しなくても安心できる強さを持ち、幻聴も幻覚も抑えて、現実を見据えて生きていくことだったのでしょう。
でももしそうなったとして、ジェリーは幸せになれたのでしょうか?
母親のように「声が聞こえる」ことはおかしいのだと、現実がそう決めつけてしまってよいのでしょうか?
それは分かりません。
でもどうでもいいことです。
ジェリーは悪い道を選ばずに幸福になることを達成したのです。
ペット達はいなくなってしまったかもしれません。
でも愛する母やフィオナ、リサたちと再会できて、楽しく踊れて、優しいイエス様に天国につれていってもらえて、ジェリーは幸せだったことでしょう。
また見たい度
何せおもしろい上に後味の悪くない映画なので、何回見てもいいです。
でも初回でエンディングを見たときのあの衝撃はなにものにも代えがたい…。
今回の記事はここまで。
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