「シャイニングマンデー」の一人歩き
「シャイニングマンデー」という言葉がネット上で軽く物議を醸していたようです。
ただこれ、話題にしていた人の多くはニュースの内容を勘違いしているようで、お門違いなコメントが目立つように思いました。
状況を整理した上で、軽はずみに情報を拡散しちゃうのはバカだねということを肝に銘じておきましょう。
発端の「シャイニングマンデー」報道
7月末にテレ朝のニュース番組でこんな報道があったのが事の始まりです。
経済産業省は30日に27日金曜日の振り替えとして、職員の約3割が午前休を取りました。プレミアムフライデーは、2月の調査では認知率88.5%に対し、実際に早く退社した人は11.2%にとどまっています。経産省では「月末の金曜日は忙しい」という指摘があったとして、別の曜日への変更を推奨すると同時に、月曜日の午前休を「シャイニングマンデー」と呼ぶことも検討しています。
出典:次は「シャイニングマンデー」 いっそ全曜日に…
ニュースタイトルに”次は”という文字が入っているのがポイントだったりします。
「プレミアムフライデーはやっぱりやめて、シャイニングマンデーにしようぜ!」
という方針転換のように読めるわけです。
これに対し、私がネット上で見かけたのはこんな感じの感想です。
- 曜日を変えたって定着するわけない
- 金曜日は忙しいんだから月曜日も忙しいに決まってる
- どうせなら水曜日休みがいい
- むしろ全曜日休みにして
- ネーミングセンスが幼稚
私はこのニュースを直接見たわけではなく人から又聞きしたのですが、やはり同じように呆れた気分になりました。
が、実際のところ、これは経産省の意図とはそぐわない認識です。
経産省の意図するところ
この記事を用意しているうちに、ちゃんとしたネットニュースでも誤解を解く記事が公開されていて安心しました。
ここに掲載されている通り、別に「プレミアムフライデーはやっぱやめた」ということでも、「これからはシャイニングマンデーの時代だぜ!」ということでもないのです。
そもそもプレミアムフライデーには二つの目的があります*1。
- 経済振興(外出してお金を使ってもらう)
- 働き方改革(労働者の余暇時間を増やす)
そして働き方改革=休みを増やすという観点から、「月末金曜日にはこだわらない」という方針が既に公式に掲げられています。
(1) 実施時期
毎月、月末金曜日を中心に実施
なお、働き方改革の観点では、職場や地域、個人の実情に応じた「月末金曜」、「15時」に限らない柔軟な取組(振替プレミアムフライデー等)も推奨
出典:プレミアムフライデー ~月末金曜、豊かに過ごそう~(METI/経済産業省)
月末金曜日に休めないというみんなの声を分かった上で、他の日に振り替えることも推奨しているわけです。
よく見ればテレ朝の報道記事にもちゃんと「別の曜日への変更を推奨する」ということが記載されています。
で、この「別の曜日への変更」の実施の一例として、経産省の人が経産省内ではこんな運用をしましたと話していた、というのが実際の内容なわけです。
「月末金曜日は休みづらかったので、うちは月曜の午前中に振り替えることにしてみました。いわば”シャイニングマンデー”ですね、ははは」
みたいな経産省の人の軽いノリの話が、あたかも「シャイニングマンデーが新たに制度化される」ような取られ方で広まってしまった、というのが事実ではないかと思われます(上記の台詞はただの想像ですが)。
なぜ勘違いで炎上するのか?
炎上は言い過ぎかもしれませんが、とにかく発言者の意図が誤解されてあらぬ批判が生まれたことには違いありません。
今回テレ朝の記事には誤解を生じさせるポイントが含まれていました。
- 「次は「シャイニングマンデー」」という見出し
→「次は」という言葉が方針転換を示唆している - 「月曜日の午前休を「シャイニングマンデー」と呼ぶことも検討しています」という本文
→シャイニングマンデーの制度化を示唆している
これを読んで誤解した人が、誤解に基づいた感想や意見を発信する
→誤解した感想や意見がネットニュースとして拡散する
→誤解に基づいた感想や意見を見た人は、元の記事をよく読まないまま誤解した内容を理解する
……という、拡散を呼ぶ拡散によって誤った認識が広がっていったわけです。
ふと思えば、こういったことはシャイニングマンデーに限った特別な話ではありません。
これはネットニュースというメディアが抱えている炎上しやすい性質に関係するものです。
見出しで掴む!という性質
そもそもネットニュースにおいて、パワーワードを取り上げて見出し化するなんてごく普通のことですよね。
例えば「女優○○が芸人にマジ切れ!」みたいな過激な見出しを出しておきながら、実際の記事は「バラエティ番組で芸人にいじられた女優が笑ってツッコミを入れた」程度のものだった……なんていうことは日常茶飯事だと思います。
ネットニュースは「見出しを見てクリックしてもらわないといけない」関係上、目に付く見出しを使うのは当然の戦略ではあります。
しかし、見出しに引きつけられた人が記事を読むとは限らないのです。
見出しだけで納得してしまい、これを誤った認識で紹介してしまえば、紹介された人も当然誤った認識で理解することになります。
簡単にシェアできる!という性質
私もこの記事でいくつか記事を引用していますが、ネットニュースは簡単に拡散できます。
わざわざブログにしなくても、「いいね!」を押すだけでよかったりします。
テレビのニュースを誤解した人がいてもせいぜい影響を受けるのはその人の周りの数人でしょうが、ネットニュースを見て誤解した上にTwitterに拡散した人がいれば、数え切れない人がそれを目にすることになります。
特に「は?」と思ったことには「は?」とツッコミを入れたい心理*2が働いた結果、批判的な意見が多く発信され、それがシェアされてさらに広がっていきます。
こうして事実にそぐわない内容へのツッコミが増えていき、今度はそのツッコミ達がネットニュースになって、さらにツッコミの輪を広げていくわけです。
フェイクニュースに踊らされないために
「フェイクニュース」という言葉を使ってみましたが、ここで言うフェイクは故意の嘘だけでなく、シャイニングマンデーのような勘違いによる誤りも含めています*3。
故意の嘘というものはさらにタチが悪いですが、構造としては上記と同様です。
対処の心得もだいたい同じでしょう。
- 見出しと記事は別物と思う!
- 記事と感想は別物と思う!
- 記者と発言者は別物と思う!
とりあえずこれを意識しておけばいいんじゃないでしょうか。
誤解して変なツッコミ入れたらかっこわるいですからね。
とか言ってるこのツッコミ記事にもツッコミどころがありそうでちょっと不安。
今回の記事はここまで。
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